静也翁遺愛碑(じょうやおういあいひ)

十八女町皇子神社の階段を南に降りると、竹内十郎兵衛の墓と静也翁遺愛碑(じょうやおういあいひ)が並んで建っています。

 

静也翁は竹内十郎兵衛と言い、1764(明和元)年に近江の彦根(滋賀県彦根市)に生まれた人です。

その父の勘兵衛は、四国巡拝の途中に水井村東山にて石灰の鉱脈を発見し、石灰の製造を始めました。

十郎兵衛は1794(寛政6)年に父の後を継ぎ彦根から水井村へと移住し、石灰製造に励みました。

事業は徳島藩の許可を得て、藩内初の石灰製造事業となりました。

 

那賀川の船による運搬ができる位置にあって、生産・販売ともに有利な条件が整っていたこともあり、事業は大発展しました。

文化年間(1804~1819)には、利益が500両にもなっていたということです。

十郎兵衛はその利益を三分割し、ひとつは藩へ納め、ひとつは寺社や道路の整備へあて、残りのひとつと藩から支給されるわずかな扶持米∗(ふちまい)で質素な生活をしました。

∗扶持米…給与の一種として与えられていたお米

 

当時、十八女の水田が干ばつのために人々が困っていることを知った十郎兵衛は、自費で川から約8kmの用水路を完成させたといいます。

十郎兵衛は1819(文政2)年に亡くなりましたが、十八女町の人々は十郎兵衛の徳をたたえて1825(文政8)年に石碑を建てました。

 

それから200年以上過ぎましたが、今も4月3日は十郎兵衛祀りとして町民は十郎兵衛を偲(しの)んでいます。

また、お庵祀りといい全戸が交代でお茶とご飯をお供えし、自分の生活を切り詰めてでも他人が幸せになるのを願って生活していた静也翁に感謝を語り継いでいます。


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