珍しく快晴続きの今日このごろ、本日の担当は地域おこし協力隊員1号、岩本です。
5月20日、今日は朝から夕方までいろいろ盛り沢山でした。
まずは、朝8時に大井地区の『あずまや』に例のタイのお坊さんたち(「タイ比丘」と呼ぶそうで)を送り届けました。
今日はここから水井橋を渡って、太龍寺を経て平等寺まで向かう予定。
歩いてる姿が、マントと三角帽子で、すごくスナフキン(@ムーミン)に見えます。
そのまますぐに、1号と2号渡辺くんは、車をとばし太龍寺山の南側にある持福院へ。
太龍寺に登る山道は複数あります。一番一般的にお遍路さん達が通るのが、水井からの太龍寺道。そして、加茂谷が誇る「かも道」。そして、ここ持福院から登っていく「中山道」から、今日は二人して登ってみようと考えたのです。
登った後は、もう一つある、恐らく一番知名度の低い「北地道」を降りてこようという計画です。
中山道はつい先日新聞にも掲載されていたように、定期的に地元の人達が清掃・整備をして下さっているので、心配ないのですが、北地の方は少し歩きにくいかも。。。との情報から、カマやのこぎり持参です。
入り口の時点で、軽トラで通りかかった地元のおじさんに、「おお〜。今から登るんか〜。この道が太龍寺に一番近いんやぞ〜。昔はシシがようけおってなぁ、最高で1日で8頭獲ったわ」と和やかに話しかけられ、「石切場のとこは気いつけて登れや〜」と送り出して頂きました。
いざ出発!
手元にある地図を見ると、中山道は舎心ヶ嶽まで2.4kmぐらいのようです。
先ほど、軽トラのおじさんは「太龍寺まで一番近いぞ〜」と言いました。私の経験からかなり急だった山道は、ここ徳島県の高越山(1133m)を、4.5km程度のへんろ道で登るルートでした。
太龍寺は標高600m余り。それを2.4km。。。。
つまり、高越山とどっこいどっこいの急さ、ということでは。。。
写真ではちょっと実物の傾斜をありのまま伝えられないのが、悲しい。
ただ、ワタシは個人的には急な坂道は下るよりも登るほうがよっぽどラクで好きなので、隊員二人してガシガシ登ります。
とても綺麗に清掃された道で、非常に急である以外は、風光明媚で歩きやすい、とてもよい道です。
そして、この道の途中で、こんな ↓ 丁石を見つけました。
十七丁の文字の横に、唐突に首を吊られた人の絵!!!??
なんだ、なんだ、なんなんだこれ!?何か、妙ないわれや言い伝えなどでもあるのか!もしかして、ここは幽霊などが出るすぽっとなのか!?
勝手にいろいろ民話や言い伝えを想像してみましたが、某市役所文化振興課の歴史専門家にお聞きすると、「これは蓮の花をもっている地蔵菩薩の姿です」。
。。。。蓮!?ハス!? これって、蓮なの!?
事実はごくごくまっとうに平和的なものでしたとさ。
木々の間を抜けていく清々しい道をしばらく行くと、ごつごつした岩場でぱっと視界がひらけました。
ここが、軽トラおじさんが「気をつけて通れよ〜」と言っていた採石場跡なのでしょうか。
目の前に広がる絶景。
さらにしばらく行くと、道がふた手にわかれました。
上に向かう方は「補陀落山」と書いてあります。
そうそう!思い出しました。太龍寺のお山の中で一番高い部分は、補陀落山というのでした。
山頂の方角を見ると、わりとすぐそこにもう木々のてっぺんが空に届いている場所が見えます。せっかくここまで来たので、ぜひとも山頂到達してみましょう。
2〜3分もしないうちに、ぱっと広場のような場所に出ました。
かつてはここにお堂でもあったのでしょうか。石段や石垣が残っています。
ここが山頂、標高618m。
建物の跡地が平らで、目の前には、ロープウェイの山頂駅手前の柱と、太龍寺の屋根がみえます。
その向こうに見える高い山は、星の岩屋がある勝浦町の山でしょうか。
かつて何かがここにたしかにあったのだ、ということを忍ばせる、石造りの手水おけなどが苔むして静かにたたずんでいます。
先ほどの分岐点まで戻り、今度は左手の方の道に進むとすぐに、いわや道入り口からすぐの場所に合流し、舎心ヶ嶽にたどりつきました。
へんろ道の清掃活動などでは何度か太龍寺に訪れたことがある隊員2号ですが、実は実際に舎心ヶ嶽に登るのは今日が初めて。
これまでワタクシ1号が散々「すごく綺麗!超絶景!一番のお気に入りの場所!いつまでもいられる」と耳に吹き込んできた絶景を、ようやく初めて自分の目で見た渡辺くん。
とても気に入ってくれたようです。
さて、太龍寺境内の納経所前に急ぐと、事前の約束通り、スナフキン達はちゃんと到着して待っていました。
待ってる間に一休みして居眠りしている姿さえ、とてもとても絵になります。
なんと、律儀に背筋をのばして座禅の姿のままで寝てます。(いや、瞑想しているのかも。。。いや、やっぱり寝てる)
タイ本国では戒律を厳格に守り、ほぼ裸足ですごしている彼ら。1番札所からここまでずっとサンダルで山を登って降りているツワモノです。今日は、太龍寺から平等寺までと長丁場であり、キャンプ道具を持ち歩いてるとても重いバックパックを平等寺まで持って行ってあげることにしていました。
そして、太龍寺からの下山も、舎心ヶ嶽経由、いわや道〜平等寺道を使うということで、いわや道の入り口までは案内するので待っているように、と約束していたんです。
こちらのちょっと若めのタイ比丘は、ロープウェイ駅でお接待で出た「しいたけ茶」をとても気に入ったとのこと。
気に入るあまり、1箱実際に買ったのを見せてくれました。
そして、今度はこのオレンジ色のスナフキンsを伴い、加茂谷隊員コンビは再び舎心ヶ嶽に折り返しました。
実は隊員1号、一昨日も太龍寺さんにいました。もはや週イチどころか週二のペースで600mまで上がったり降りたりしている理由を、自分でもよくわかんなくなっています。
この本堂から舎心ヶ嶽に至る道も(特に最後の部分)とても急なのですが、もはや慣れきってしまい、へとも思わなくなってる自分が怖いです。
舎心ヶ嶽にて、茶色のスナフキンは鎖で岩を登って行きましたが、オレンジ色のスナフキンは、脇の方から空海像の前の岩場に出る細道を、うきうきと歩いてきます。
山々を背に座禅する姿が、むっちゃくっちゃ!!絵になります。(緑にオレンジって映えるんですよね)
それでも、たとえ敬虔なガチのお坊さんでも、スマホであちこち写真撮影はします。
戒律上、昼の12時以降は「物を食べてはならない」タイ比丘。
(聞いた途端、「は?え?ええ??」と聞き返しましたが、本当です。タイ本国ではたぶん朝の3時ぐらいから活動してます、この人達。ただし、正午以降でも何かを飲むことはできます。そしてなぜかチョコの様に口で溶かせるものも、大丈夫だそうです)
この頃ちょうど朝の11時半。今日最後の固形物を食する貴重な時間を逃さない様に、ヤマサキモリの像に急いで戻り、昼食をとりました。(本来、これは彼らにとっては夕食?になるのですかね)
次に落ち合う場所は平等寺。3時ぐらいに会おうね、とスナフキン達はいわや道へスタスタと消えていきました。
それを見届けると、今日の太龍寺登山の下山ルート、北地道へいよいよ進入です。
事前に「通りにくいかもしれない」との情報通り、かなり倒木が多い北地道。
それをかい潜り、迂回しながら進みます。
今回の北地道下山ルートでは、ワタクシ1号の長年(?)の夢だったことを実行するつもりでした。
そう、昨年初めて太龍寺ロープウェイに乗って、ガイドさんの説明を受けてからずっと暖めていた野望。
です。
とある秘密の場所から、とある秘密の道無き道を進み、「ホントにここでいいんかい?」と思いながらヤブの中をくぐり、発見しました!
じゃじゃん!!
崖の上のオオカミ御一家です。
実はそこそこ広い、この崖の上。
オオカミ的視線で、ロープウェイの方を見るとこういう光景です。
こちらの2頭の背後にぽこんっと出ているのが、先ほど登った補陀落山頂。
ちょうどロープウェイの中間地点なのか、上りと下りのロープウェイが、間断空けずに通りすぎて行きます。
舎心ヶ嶽でもそうですが、あちら側からでも岩場にいるワタクシたちの姿はちゃんと見えるようで、窓の向こうから手をふってくれます。
オオカミたちに別れを告げ、いよいよ北地道をどんどん下りていきます。
こちらもとても風情のある道ですが、残念ながら通る人々が圧倒的に少ないため、落ち葉や倒木、落ち枝などで、かなり歩くのは根性がいります。
でも、倒れていた丁石が、たしかにここはかつていくつもあった大龍寺へのお遍路ルートの一つなのだと語ります。
ある場所は、石切り場の跡でしょうか。
かも道内の「白の道」のような岩がゴロゴロとした(つまり、1号的に非常に萌える)道になっています。
下れば下るほど、だんだん道の状態は険しくなっていきます。
山の斜面を何度も何度も切り返しながら下りて行く道は、登ってきた中山道や太龍寺道などよりも遥かに長く感じます。
場所によっては草が道を隠す勢いで茂っており、本当にここが正しい道なのか不安になってきました。
その時、再び視界がいきなりひらけました。
民家が見える、そしてロープウェイのワイヤーとの位置関係からも、方向的にはまちがってないと安心して下り続けます。
再び、今度は少し西の方向に視界が広がりました。
ロープウェイもすぐ横を下りていきます。
この岩場&急坂は、ロープが2本つけられていました。
ここの場所は真面目にロープなしでは登ったり降りたりはできない、そんな冒険心くすぐられる場所でした。
山はふもと付近で意外と迷いやすいというのは、昨年の奈良県長谷寺へ向けての山越えで痛感させられた1号。
こちらの道でも、もう沢の音なども聞こえるふもと近くになると特に道が荒れており、とにかくこれが道だろうとアタリをつけながら、落ち葉とゴロゴロ石に滑らないように気をつけ気をつけ下りていきます。
とうとう、道標がある入り口まで下りてきました!
下りでもわかりにくい道でしたが、上りの場合は、もっとわかりずらいかもしれません。
山から抜けた場所にあったお堂を掃除していた地元のおばあさんは、「あれまぁ!あっこから下りてきたんか!?ちゃんと通れたか?」とびっくり仰天。
毎日この地蔵堂を掃除し、ご飯を供えて世話してくださっているそうです。
昔はもっと大きくて、村で芝居の舞台として使用して皆で見物ができたというこのお堂。小さいけれども、しっかりとして、世話が行き届いたお堂です。
昔はこの北地道もお遍路さんが行き来したが、ロープウェイができてからとんと降りてくる人もいなくなった。昔は1年に1度は村の皆できれいに整備していたが、誰も通らなくなった今、整備も行き届かなくなった、とおばあちゃん。
加茂谷二人がてっぺんから下まで何とか下りてきたことを、しきりと感心していました。
今日の「中山道で登って、北地道で下りる」の目標を達成した加茂谷隊員コンビ。
2号は、最近ハマり始めた自宅前の空き地での畑仕事がしたいと家路に着きました。
でも、ワタクシには、まだスナフキンsの荷物を送り届けるというミッションが残っています。お世話するなら最後まで、毒をくらわば皿まで、です。
足が強い茶色のスナフキンなら、いわや道から阿瀬比の交差点まで1時間半、そこから大根峠越えで平等寺まで1時間半、合計3時間ぐらいと推測していた岩本。3時ジャストに平等寺に到着すると、待っていた茶色スナフキンを発見。予想通り、ほんの少し前に到着したのだそう。
足がやや弱いオレンジ色のスナフキンを見つけて車で連れて帰ってくるために、タイ比丘のお世話係は平等寺副住職にバトンタッチ。
それほど遠くない場所で、無事オレンジ色を見つけ(思っていた以上に速い足でした)連れて帰ってくると、まずは平等寺名物の霊水を試飲。
そう、彼らはたとえここまで3時間山道を歩いていようと、飲み物以外は口にできません。
黄色から柿茶色への綺麗なグラデーションでマッチした3人。
次はぜひ四国がみかん色で染まる季節にもう一度来てもらいたいものです。
本堂と大師堂でする作法も、とにかくひたすら絵になります。
遂には、副住職のたってのリクエストで、「メッタ・スッタ(慈経)」を合唱するタイ比丘二人。
本場取れたて産地直送のメッタ・スッタが聞けて嬉しそうなご様子ですが、隊員1号的にはそれが何かすらもわかっていません。
国民全部が敬虔な仏教徒であるタイでは、お坊さんに施しや良いことをすると、それが来世への功徳になるそうです。
それが本当なら、ワタクシはこの2日間で人生200回分ぐらいの功徳を積んだような気がする今日このごろ。。。。
2号撮影による、本日の傑作。
修行空海「たまにさ、虚しくなるんだよね」
1号「うん、わかる。でも、大変だけど頑張ろうよ。愚痴なら聞くよ」
修行空海「そうか。。。そうだよね、人生いろいろあるよね」
素晴らしい経験を為されていますね、まことに羨ましいかぎりです。
「近くに住んでおられる方の強みだなぁ」とフト呟く富山県南砺市の住人です。
南砺市といえば、五箇山の合掌造り集落にこきりこ祭り、数々の立派なお寺、私の行きたいところばかりです! (しかも日本の数々の名山がお近くに!)。。。でも、まだ富山県には行ったことがありません。(石川県までしか行ったことないのです) ぜひぜひ行きたいな、と思います。せみへんろさんもぜひ機会があれば加茂谷、太龍寺に起こし下さい。(岩本)