「十八女町」読み方の由来

テレビの「珍名・奇名クイズ番組」にも登場したことのある加茂谷地区の十八女町。

少しエロティックな読み方?で思わずクスリと笑ってしまうかもしれません。

この「十八女町」ですが、読み方は”さかりちょう”です。読み方を聞けばなるほどと思う方も多いことでしょう。

その読み方の由来は諸説ありますが、その中でも一番もっともらしいと思われる説をひとつ紹介します。

 

平安時代の末期、1185年の壇ノ浦の戦いで平氏は源氏に敗れて敗北しました。

このとき、平氏方であった安徳天皇(あんとくてんのう・平清盛の孫)は二位尼に抱かれて、「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます。」と言われ入水したと言われていますが、こういった説もあります。

平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたという説です。

安徳天皇が入水せずに落ち延びたという伝説の伝承地は全国に多くありますが、十八女町もそのひとつであります。

 

実は極秘にされていましたが安徳天皇は姫宮(皇女)で、十八歳になった時に名乗った名前が「十八女(さかり)」だと言われています。

※安徳天皇は『平家物語』の中で実は女性であったのではという疑問を抱かせるような容姿描写があったのを元に、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目である『義経千本桜』では実は女性であったという筋書きになっていたり、古来より女性説が数多くあります。

そして、その安徳天皇が落ち延びて隠れ住んだ場所が現在の十八女町であり、ここにあった行宮(あんぐう・かりみや)所にできた町だということです。

※行宮…皇帝や天皇が行幸時や政変などの理由で御所を失っている場合に一時的な宮殿として使用された施設のこと。

 

鬼ゆりも 今十八か 花さかり」(作者不知)

という歌にもあるように、平均寿命が40~50歳程度であった時代には18歳ぐらいが「女盛り」と考えられ、「娘 十八 女もさかり」という意味合いで「十八女」が「さかり」と読まれるようになったのではと伝えられています。

ちなみに、十八女町にある「皇子神社」の主祭神は安徳天皇です。

十八女皇子神社

十八女皇子神社・写真

十八女皇子神社2

十八女皇子神社・写真その2

昔より、神社の秋季大祭(現在は10月第1土・日)のときに神輿(みこし)につけた注連縄(しめなわ)をいただいて帰り、妊婦のお守りにすれば安産となるという信仰があり、祭礼後にはこの注連縄を奪い合う光景もあったと聞きます。

しかし、現在は少子化で奪い合う光景はなく、注連縄は希望者には十分行き渡っています。年によっては注連縄を必要とする該当者がいない場合もあり、少しさびしい気もします。


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